昭和初期 戦時中の草津高等女学校【なつかしが】

知られざる滋賀
2021/04/15

今回は昭和初期の草津高等女学校の写真をご紹介します。

草津高等女学校は、大正11年、草津実科高等女学校として開校、その3年後には、草津高等女学校と名を改めました。


第二次世界大戦真っただ中の昭和18年、学校の授業は竹やり訓練や模型飛行機作りなど、より戦争の影響が強いものへとなっていきました。
女学生たちの服装や教室の掲示物など、戦時中ならではの光景をご覧ください。

昭和18年頃の竹槍訓練の様子。もんぺに鉢巻き姿の女学生たち。

 

昭和18年頃の草津高等女学校の授業風景です。先生の服装や壁の掲示物からも戦時中であることがわかります。

昭和23年、戦後の学制改革で草津高等女学校は栗太農学校と合併し、現在の滋賀県立草津高等学校となりました。

あのころ滋賀は、私はこうだった。
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